インドからやってきた「あのお方」
今年もいよいよ残すところわずかです
早い、早い。時が経つのは早いです。でもぎっしりと中身のある1年となりました。多くの方との新しい出会いがあり、また、あらためてそのご縁に感謝する、そんな1年でした。今後の芸術活動や普段の生活に向けた課題も明確になってきています。人生も踊りと一緒で常に修行。いや、人生の中に踊りがある。。。踊りの中にも人生がある。。。
今年はインドからスラバニ師匠が来日され、嬉しかったです。企画したKathak workshopも好評でした。今後も、更に役立つ内容で企画したいと思います。そのときに師匠と一緒に拝見したパントマイムの清水先生の舞台からも本当に多くのものを「いただき」ました。どんな芸術でもそうですが、本物の放つエネルギーとメッセージはすごいですね。そしてあの謙虚さ。実るほど、頭を垂れる稲穂かな、です。清水先生、そしてスラバニ師匠をはじめとするインドにいる3人の師匠と出会えたことは、私にとっては奇跡です。
そして、今年の夏、もう「ひとかた」インドから訪問者がいらっしゃいました。。。。何の前触れもなく。。。。突然に。。。。
知人が、色々な経緯を経て、住む家を無くしました。シングルマザーで、1歳になったばかりの子を抱え、夜逃げ同然で最低限のものをダンボールに詰め込んで「家」を出て、しばらく親戚の家に身を寄せることになりました。私にできることは、次の家がみつかるまでの間、その荷物をいくらか預かってあげることと、数日我が家で過ごしてもらうことくらいでした。思考能力がほぼゼロの状態でダンボールをうちの倉庫に詰めていく彼女が、「あ、どうしよう。。何かの金属でできた置物があるんだけど、このまま倉庫に入れて大丈夫なのかなぁ。。。変色しないかなぁ。。。」とつぶやきました。何だか見せて、という私に、ゴソゴソと取り出して見せてくれたのは、何と
ナタラージ Dancing Shiva
だったのです!そう、カタックに限らず、インドの古典舞踊を踊る者にとって一番尊い神。私の家には実はNatarajの像はないのです。インドから日本に帰るたびに買って行きたい、という思いに駆られるのですが、いつも衣装やら楽器やらで重量オーバーし、得意のベンガル語とベンガルのサリーで空港のオジサマたちに愛想を振りまき
、何とか片目をつぶっていただいているので、あきらめていたのです。だって、「軽くするために何か捨てなさい」と言われて捨てられるものはないですから。。。。そして、本心を言えば、私にはまだShiva神を迎え入れる心の準備ができていませんでした。わかる方にはわかっていただけると思います、私の言いたいことが。
でも、インドに行かれなかった今年は、Shivaの神様のご加護を受けたいという願いの強い年でした。そこに、ひょっこりといらっしゃった。。。。最初はびっくり、というよりも鳥肌が立ちました。感謝の思いが湧き上がりました。彼女は別にインドの芸術に関係のないことをしている子で、旅行にいったインドでたまたま買ったらしいのです。Shivaが私たちにとってどれだけの意味を持つ神様か知りません。彼女があのときこの像のことを言わなかったら、そのまま倉庫に今も放置されたままでいらっしゃたでしょう。「Shiva神が私のもとにきてくださった。見守ってくださるという意思を伝えてくださったのだ」と、思い上がりのようではありますが、私はそう感じました。「この像だけは私の家の中に置かせてね」と言って、彼女から了解を得ました。
シバ神は「破壊と再生の神」と言われます。今年はそれを身をもって感じる一年でした。破壊なくして新しいものは生まれない。先日、立花隆が癌という病気のなぞを解く姿をとったドキュメンタリーをやっていましたが、そのときにも同じことを思いました。人間は永遠に生きることのないようにできてるのでしょう。人間に限らず、命を持つものはすべて。肉体的にも精神的にも傷ついたり、壊れたりしていくことが実は生きていくことにつながる。壊れるということがそのものの存在の証なのではないか、そんな気がします。
来年インドに行ったら、Shivaの像を持ち帰りたいと思います![]()
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